情報と距離
沖縄に移住しようと思わなければ、 ブログを始めていなかったかもしれない。
その私が、現在3本もブログを書いている。
プライベートはこのブログだけだが、2本は仕事上で発信している。
半年前には想像していなかったことだ
このブログを始める際に、決めたことがある。
・実名を公表する (発言に責任を持ちたい)
・どんな記事でも、個人的な感想や主観を伝える。 (読み手に、考えてもらう一瞬があってほしい)
・感情的な書き込みはしない。(当然)
・文字だけのコミュニケーションの怖さを意識する。 (温度感や表情が伝わらないので微妙なニュアンスが伝わらない)
・常にポジティブで (気持ちよく読んでもらいたい)
・仕事のネタを持ち込まない (プライベートの顔を記しておきたい)
ブログをやらなくても、自分の生活が大きく変化するわけではない。
でも、自分の想いや軌跡を残す術(すべ)があるなら、やっておくべきだ。自分で振り返ることもできるし、大切な人たちに自分を理解してもらうこともできる。
父親はPCをいじることができない。というかやろうという意欲がもう無い。まだ75歳だから頑張ればできるのに・・・。
このブログの抜粋を紙で出力して、たまに郵送してあげている。
でもPCをいじる気にはならないようだ。
ブログを見ている友人・知人は、自分が沖縄にいても、遠くに行っていまったという感覚は少ないと思う。
ネットを通じて会えるからだ。
でも、父親は私が海外とか遠いところに行ってしまったと感じているらしい。
情報を得ることができるとできないでは、感覚に大きな差が出る。
ネットで世界の情報が瞬時に入るし、それをフル活用できている人は、海外に対する壁も低い。
現在の小学生は、生まれた時からそれが普通なのだから、あと10年後には、ものすごい差が生じているハズだ。
感性を磨き続けること。吸収しようという欲求を持ち続けること。
これが、いつまでも若くいれる秘訣かも
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